~やっと辿り着いた分子栄養学~
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オーソモレキュラーアカデミー

分子栄養学ブログ

セミナー報告や当協会認定の分子栄養学アドバイザーによる分子栄養学ブログをお届けいたします。

~やっと辿り着いた分子栄養学~

オーソモレキュラーアカデミーの皆さま

初めまして。

まずは自己紹介をさせていただきますね。


わたしは、

  • 8期分子栄養学アドバイザー

  • こども分子栄養学アドバイザー

の中村まり子と申します。


北海道で生まれ育ち、

登山にスキーなど、

外で遊ぶことが好きです。

畑で野菜を作り、ガーデニングも。

朝から日が暮れるまで、夢中でやってしまいます。


シングルマザーで、

看護師をしながら娘を育ててきました。

娘は現在、台湾へ留学しています。

1人暮らしの自由を満喫しながら、

大鍋に作ったボーンブロス

毎食、味変して楽しんでいます。


そんなわたしですので、

元気に思われがちですが、

毎日の疲労感はとてつもなく、

体力の無さに悩んでいました。

外来で勤務していましたが、

夕方になると立っていることが辛く、

ふらつくし息切れもする。


足が前に出ない。

ボーっとしている。

いつか医療ミスをしてしまわないかと、

不安もありました。


最初に体調の異変を自覚したのは、

20代半ば。

夕方からの極度の疲労感と

帰りの地下鉄内での

動悸・冷汗・手の振戦・不安感・焦燥感。。。

「パニック障害?」と悩みました。


夜間には不眠もありました。

そこで私が向かったのは、

心療内科。

抗不安薬と睡眠導入剤を処方されました。

その時は、2年程内服を続けました。

内服を中止することへの不安、

ゴールが見えない焦り、

精神的には、本当に追い詰められていました。


他にも、月1のペースで風邪をひき、

だらだらと症状が続く状態でもありました。

当時はOLをしていましたが、

体調不良で休みがちなわたしは、

上司から

「本当は夜遊びでもして、

だらしない生活してるんじゃないのか?」

と言われたことも。

実際にそうならわかりやすくて良かったのですが、

その頃は職場と自宅の往復。

体調が悪い分、とても真面目な生活でした。


食生活は体調を気遣っている(つもり)なので、

温野菜のサラダ、

具だくさんの味噌汁、

白米、

主菜は、魚かお肉。

副菜を1.2品は必ず食べていました。


それでもどうしようもない、疲労感。


「なんでこんなに気をつけているのに?」

と真剣に考えていました。


脂質抜き・減塩をしていたことや、

他にも思い当たることがいろいろあって、

それは今ならわかりますが、

当時はヘルシーだと思い込んでいたので、

気づくこともなく。。


結局、不調から抜け出せず、

会社を休職することになりました。

メンタルはますます落ちる一方で、

今で言う「沼」でした。。


この時は、

見かねて心配してくれた彼が、

結婚をし支えてくれたので、

なんとか穏やかに過ごせていました。


その後のわたしが

内服をやめられたきっかけは、

「妊娠」でした。

たまたま婦人科へかかる機会があり、

かなり早い段階で妊娠がわかりました。

抗不安薬内服中の妊娠の危険性は、

当時まだ、よく理解していませんでした。

慌てて心療内科に確認して、

内服は中止することに。

わたしは娘のおかげで、

心療内科にかかることがなくなったのです。


育児中の食事は、

夕食だけしっかり多めに作り、

朝昼はその残りを

食べたられるタイミングで食べる。

そんなスタイルでした。

そして、育児に追われる中で、

夫婦間でイライラが募り、ケンカの毎日。


今思えば、

二人の栄養が足りていなかったのですね。


料理は好きでしたし、

栄養バランスは悪くないと思っていたのですが、

一日全体と考えると、

夕食だけしっかり摂っても、

不足していました。


そんなこんなで、

いつしか、家庭が解散♪

わたしはシングルマザーとなり、

そこから看護師の道へ。

解剖生理学だけが大好きで、

他の授業はほぼ居眠りな看護学生でした。

これも今思えば、

午前中は働き、午後から授業、

移動の合間の昼食は、

口の中に放り込むように一気食い。

きっと、もともとあった

血糖値スパイク

また起こしていたのでしょうね。

授業中、起きていられるはずもなく、

よく看護師になれたと思います。。


それから、病棟で勤務を始めました。

その頃からまた、

夕方のあの症状が顕著に現れました。

手の振戦と動悸・焦燥感から、

点滴の準備がうまくできないのです。

冷汗もひどく、制服がしっとり。

「またパニック起こしてる?」と。

抗不安薬を再開するのは嫌でしたので、

ひたすら我慢していました。

けれど2年続いた頃にやっと、

先輩ナースに相談をしました。

血糖値測ってみなよ」


素直に測定した結果が「58」


えぇーーーーーーーーーっ!!( ゜Д゜)

って職場で言いました。


そういえば、

教科書通りの低血糖症状で。

インスリン注射した

糖尿病患者さんの看護計画に、

「低血糖症状の有無を観察する」

  • 冷汗の有無

  • 振戦の有無

  • 動悸の有無

  • 不安の訴え。。。などなど

何度書いてきたことか。。。

こんなにわかりやすい患者いないです。

わたしが低血糖の常習者でした。

それが分かったことは良かったのですが・・


ここからです。

わたしの迷走は・・

ここではまだ

分子栄養学に辿り着けませんでした。


最初にやった対策は、

「水分摂取は甘いジュース」

「飴を食べながら仕事する」でした。

でもこれでは、

血糖値スパイクを繰り返すばかりで、

体質改善にはつながらないと気づきました。

そこでやっと、食事内容に目を向けました。

初めて症状を自覚してから、

すでに10年以上が経過していました。


血糖値スパイクを起こさないようにと、

  • 血糖値の変動の緩やかな 脂質とタンパク質を毎食しっかり摂取する

  • 高GIの小麦粉製品の主食をやめる

  • 砂糖の入った食べ物を一切やめる

これらを徹底しました。

そして、

顕著な低血糖症状は出なくなりました。


『食べ物で身体が変わる』

そう感じた初めての体験でした。


その頃、同時に悩みだったのが、

30代になって発症した喘息でした。

当時ネット上で、

「乳製品がアレルギーに影響を及ぼす」

というタイトルをみました。

水代わりに飲んでいた牛乳を、やめました。

そうしたら、

途端に喘息発作も少なくなりました。


牛乳をやめたことでの変化は、

他にもありました。

ピアスやネックレスに反応していた

金属アレルギーも落ち着き、

普通に付けられるようになりました。

また、20代からの悩みだった

顎から鰓にかけてのフェイスラインに出る

頑固な吹き出物も

すっかり出なくなりました。


それからは食材選びに目が向きました。

無農薬の野菜

抗生剤やホルモン剤の使っていないお肉

無添加の調味料。。

そんな食材を手に入れて、

娘に美味しいと言われる食事を作る。

そんなことにハマっていました。


けれど、毎日の疲労感は消えず、

タンパク質を摂っているはずなのに、

髪の毛はパサパサ。

全体的に潤いのない感じがありました。

気づいていませんでしたが、

消化吸収能がかなり落ちていたのですね。


そんな時に知人から薦められたのが

『糖質制限』

その知人は胃癌の既往がありました。

「がん細胞の栄養はブドウ糖」という情報で、

糖質制限されているがん患者さん多いですよね。


「疲れ知らずの身体になるよ!」

「髪もツヤが出て、

リップクリームも要らないよ!」

と言われました。

そう言われますとね、

やってしまいました、糖質制限。

どうせやるならと、かなりがっちりと。

しかも最悪なことに、

中学生だった娘を巻き込んで。


最初は、確かに眠気も感じず、

低燃費というか、短い睡眠でも元気で、

「ケトジェニックな身体になったかしら♪」

などと、喜んでいたほどで。

けれど、1年近く続けていると、

いつしか疲労感が復活。

職場で頂き物のお菓子を食べると、

その後にまた低血糖になりました。

痩せる目的ではなかったものの、

減少していた体重が戻るどころかリバウンド。

そこからは全く体重が減らない。


そういえば、

こんなにタンパク質を摂っているのに、

以前より、肌の潤いもないし、

髪の毛の乾燥も進んでいる。

食べても食べても

何も吸収されていない感覚になりました。


ここでやっと、

偏った食事が良いはずはないと、

目が覚めました。

糖質制限からの卒業。

久しぶりに食べたご飯の味。

身体に浸み込むような

優しい美味しさでした。

身体の声が聴こえたような瞬間でした。


シングルマザーになってから、

病気をしていられないという気持ちが先行し、

偏った健康法へと迷走していたのですね。


そして、

娘には申し訳ないことをしてしまいました。

救いだったのは、

育ち盛りで食べる量が多かったので、

ひと足先に糖質を復活させていたことでした。

けれど、制限していた期間は短くなく、

わたしと同じように、

食べていたタンパク質を

うまく消化吸収できていなかったのでしょうね。

以前から感じていた発達特性も

強くなっているようでした。


自分のことよりも、

娘のこの変化が何よりも悲しくて。

ここでやっと、

発達障害のことを食べ物と関連付けて

調べるようになりました。


そこで知った藤川先生の記事で初めて

「分子栄養学」という言葉を知りました。

目から鱗。

でも、なんだか腑に落ちる。

「なんだこれ? 面白い!」

ワクワクしました。


勉強したいなぁと思いました。


確かこのタイミングで、

第1期の講座が開催されたように思います。

いろいろある分子栄養学の団体の中で、

安藤先生のオーソモレキュラーアカデミーが、

わたしには一番心に響きました。

学ぶなら安藤先生。

そう心に決めました。


けれど、

ちょうどそれが娘の高校進学と重なりました。

高校生になってからの娘は、

周囲の環境についていけず苦しんでいました。

生活リズムも整えることができず、

起床から寝るまでがバタバタでした。

そんな娘を放置できず、わたしのリズムも崩れる。

その時こそ学び、

改善していけたら良かったのですが、

そのゆとりすら、ありませんでした。


そして2年前には、

子宮からの大量出血が何度もあり、

貧血症状に悩まされました。

多忙な外来業務で治療室を動き回るのに、

息が続かない、かがむと立ち上がれない、

めまい、口角炎、過度の疲労感・・

明らかな鉄欠乏。

なのに、採血してもHbが基準値。

「貧血はないですね」

とさらっと言われる現実。


この時、

分子栄養学を学ばなきゃと強く思いました。


とりあえず、

鉄のサプリなどを飲んで誤魔化していました。

そうして嵐のような3年が過ぎ、

昨年の春に娘が高校を卒業しました。

秋に留学の予定でしたので、

娘とゆっくり過ごそうと、わたしも3月に退職。

そこでやっと、

アカデミーで学ぶ時間ができました。


岩本先生に相談会をしていただき、

こども分子栄養学から始めてみました。

とにかく楽しかったです。

かつての解剖生理学の教科書を

また引っ張り出してみたりして、

好きなことを学ぶ楽しさも感じました。


こども分子栄養学を受講して感じていたのが、

家庭で食事をつくる母の食習慣が

とても大切だということ。

わたしの食習慣で娘の発達特性は強くなりました。

安藤先生のおっしゃる通り。

「お母さんに伝えなきゃ」

ぼんやりそう考えていたことが、

学んだことで明確になりました。


娘が無事、昨年秋に留学し、

すぐに8期を受講することにしました。

一気に難しくなる内容に、

四苦八苦していますが、

人体の奥深さに毎日驚きと面白さを

感じています。


こんな経過でわたしは迷走しました。

娘のおかげで分子栄養学に辿り着けたので、

早く娘にもしっかり伝えてあげたいなと

思っています。


わたし自身の体調は、

8期最初の症例検討会に採用して頂き、

アドバイスを実践しています。


ここでは書ききれていない事もあり、

経過が長いので一筋縄ではいかないです。

今も相変わらずの鉄欠乏ですが、

毎日のボーンブロスで、

ベースアップしているのを実感しています。

細かな内容はまたいつかのブログで

お伝えしたいと思います。


長々と書いてしまいましたが、

わたしの経験談を皆さんと共有することで、

少しでも皆さんのカウンセリングが

分かりやすく

実用性のあるものになればと思い、

書かせて頂きました。


これからも皆さんとブラッシュアップしながら、

分子栄養学を広められるように

頑張りたいです。


どうぞ、よろしくお願いします。

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